第6回「個人心理学会会員の集い」ご報告

「アドラー心理学『じゃない』勇気から、勇気を考える」

2021年5月16日(日)オンラインで第6回会員の集いが行われました。

参加者:30名

 

今回は会員の廣瀬弘文さんに感想をお願いしました。

次回会員の集いは8月15日を予定しています。


 今回の「第六回会員の集い」は、深沢先生より「アドラー心理学「じゃない」勇気から勇気を考える」と題して、深沢先生がまとめた研究を基に、現代における勇気づけの必要性と難しさ、人類は勇気をどのように考えてきたか、勇気の歴史性をお話ししてくださいました。


 深沢先生から、「勇気の語源(漢字)」をはじめ、言語学・ギリシャ哲学・東洋思想・心理学・ポジティブ心理学などから見た「勇気」についてお話がありました。なかでも、ギリシャ哲学のプラトンは、「勇気とは…〈恐ろしいことと平気なことについての知識である〉勇気は徳の全体である。」としながらも、「勇気はそれら(知恵、節度、正義、敬虔の4つの徳)すべてとまったく異なっているのだ」とし、勇気について定義づけしなかったお話が印象的でした。


 それから、心理学の勇気の研究は21世紀以降が主であり、羽鳥(2011)によれば、「現段階での勇気に関する心理学的研究は、勇気という構成概念を分割して操作的な定義を与え、分類し、関連する特徴を記述している段階」とし、マズローやV.E.フランクルの時代までは遡って研究しているようでした。

 

 

 その後、参加者より質問やコメントが寄せられました。 浅井先生、加藤先生がポジティブ心理学における勇気の文献(Pury & Lopez,2010等)を補足しつつ、深沢先生を中心に、勇気・勇気づけに関しての質疑応答がありました。 「『教師が子供を勇気づける』というが、『子供が教師を勇気づける』というと違和感がある。勇気づけではなく、勇気を高めるなど別の表現を探してもよいのでは?」といった問いから、議論が深まりました。


 教育現場からの発言が多く、「生徒の主体性を引き出す関わりをもつと、教師の思い通りに物事が運ばなくなる可能性を引き受けることになる。学校組織という枠組の中で、生徒に主体性を渡すには勇気がいる。」という趣旨の発言がありました。また、「子供が教師を勇気づける」ことを、素晴らしい具体例を通して語る方もいらっしゃいました。


 定刻になり、深沢先生が「プラトンが勇気について話をし、2000年たってまだ結論が出ていないので、これからも話し合いを続けていくことは大切。また、勇気づけは主体的であることを応援することであり、不完全であることを受け入れられるようにすること。上手くいかない、失敗する、負ける、それらを受け入れ、生徒も教師も未来に進むこと。」と話し、議論を一度締める形となりました。


 今回の集いの感想としては、国・文化・時代・人といった背景によって、言葉の意味合いが面白いほど異なるのだなと感じました。 アドラー心理学の「勇気」も「5つの基本理論」「共同体感覚」などの言葉が背景に絡んでいるように、「徳」や「恐怖」といった言葉が背景にあるアドラー心理学以外の「勇気」にも趣深さがありました。

 

 また、今回、皆様が持ち寄った知見や疑問を拝聴する中で、記憶の底から蘇ってきた言葉があります。「氾濫する情報を聞いている内に、そのうち情報が立体化されて流れや体系が見えてくる」「異なる意見が出てくるとわくわくする。止揚に結び付けられるから。」といった元職場での金言です。

 


 今後も、集いの会にて、皆さんと忌憚なく意見を交わせますことを楽しみにしております。