第6回「第四回学術大会について」
個人心理学会会員 鈴木 義也
2024年3月2日(土)と3日(日)の2日間に日本個人心理学会は第四回大会を開催します。
私が大会長なのですが、開催にあたって大会に関していくつか考えたことがあります。
一つは持続可能性のためになるべくシンプルでミニマムな運営にすることです。これは複雑で大きくすればするほど大変になってしまい、それが前例となって大会が大変なものになることを避けるためです。ミニマムな大会がいい意味で前例となって誰もがやりやすい大会になってこそ持続可能だと思うからです。
学会を発展させないようにしているわけではありません。参加者からすれば色々あった方がいいかもしれませんが、大会主催者側の立場から考えられる限りのシンプルな構成にしてみました。でも、さほど例年と違いません。見えないところで事務的な手間を省いたり節約したりしています。
もう一つは会員の参加です。一方的に聞くだけの学会でないようにしたいというものです。発表は従来からある会員の参加の機会です。これも今回は9件の発表をいただきました。ありがとうございます。活発な議論を期待しています。でも、発表だけが参加発言の場ではないようにしました。
その一つがアドラーマーケットです。会員の皆さんの書籍を通して発信する場を設けました。私も出店しますが忙しいので無人野菜販売ならぬ無人書籍販売コーナーを作ろうかと思っています。会員の皆様、申込は不要ですので、当日少しでもいいので余っている本を持ってきてください。物々交換もありですよ。本を通しての懇親と考えてください。
会員参加のもう一つがアドラーカフェです。人物やテーマごとに複数のテーブルを設け、そこのテーブルマスターを中心に雑談するというものです。アドラーがウィーンのカフェでやっていたようになるといいですね。これも発表というほど肩肘張らず、研修ほど受け身ではなく、懇親会ほど無秩序ではなくという感じでしょうか。ぜひご参加いただき、そこで「私の好きなアドラー」を発信してください。どれも初めての試みなのでどうなるかは皆様次第です。でも、あまり成功とか失敗とか考えずに気楽にしていけたらと思います。
研修会は今回は技法別で学ぶ機会としました。こういうことは何度やっても気づきや学びがありますので、もう知ってるという方も新たな解釈や視点を見つけてください。教室も広いし、さほど人が押し寄せるわけではないのでさんか定員は今のところ設けていません。当日参加も可能になりそうな感じです。でもなるべく事前予約をお願いします。
そして、これも初となる「日本のアドラー」です。貴重な過去と歴史に触れる機会です。今に至るまで紡ぎ出されてきた日本のアドラー心理学を知ることができるでしょう。これも私にとって大変楽しみな企画です。
あと、私の大会長学術講演もあります。これも新しい知見である自由エネルギー原理とアドラー心理学との関連を追求するものです。結果はアドラー心理学はどうしてこうも現代においても的を得た総合的な理論であるのだろうかという驚きです。
これら大会の全体としてが「私の好きなアドラー」なのです。会員の皆様も「私の好きなアドラー」を携えていらしてください。その声があがるのが大会というわけです。
ところで、本大会は日本個人心理学会において初めての完全対面大会となります。今まで長きに渡って延期やオンラインを用いてきましたが、シンプルな運営という意味でも対面だけになっています。そして、直(じか)にお会いできるのを楽しみにしています。
一方で、災害や感染などが今も日本で起きています。私も過去に雪で大勢の方が来られなくなった大会も経験したことがあります。暖冬とは言いますが3月の東京はどうなるかわかりません。本当に会員の皆様と久方ぶりに会うことができるのかどうか、今は祈るような気持ちです。前回のリレーエッセイで述べられている研修会には申し込んでいたのですが体調不良で参加できませんでした。私がどうかなっても皆さんで頑張って参加者主体の大会にしてください。
第5回「ロブ・グッテンバーグ講師による“ファンタステイックなアドラー派の技法”」
個人心理学会会員 梶野真
2023年10月29日(日)、東京都世田谷区にある駒澤大学にて、ロブ・グッテンバーグ講師によるワークショップが開催されました。デモやワークを通して大変盛り上がり、ご参加いただいた多くの方々に大変感謝をしております。ロブは奥様と初めて日本を訪れたようですが、息子さんは以前に東京に仕事で在住していたようですし、北米アドラー心理学会(NASAP)やアドラーサマースクール(ICASSI)等で様々な国を訪問しているので、海外への渡航にはとても慣れているようでした。ワークショップ前には大阪や京都、そして長野から東京へと移動し、大変充実した旅であったようです。日本食も堪能され、お寿司や日本酒も嗜まれたようでした。また、道に迷った時には日本人がとても親切にしてくれ、一緒に目的地への行き方を探索してくれたと感動もされていました。京都では、鹿に後ろから体当たりをされた、と笑いながら話をされ、日本への渡航はとても良い思い出になったようです。
今回、このワークショップ開催については、今年の2月頃に北米アドラー心理学会(日本個人心理学会は、アフィリエイト:提携団体として加入しています)経由でロブ本人からオファーがありました。その後、幾度となくミーティングを重ね、通訳の水野美津子さんを含めて準備をした次第です。今回のワークショップは、ロブの著書『Funtasitc Adlerian Techniques for Change』「変化のための楽しく学ぶファンタスティックなアドラー派の技法」から抜粋をしました。この著書には約80〜90の技法(理論を含む)が掲載されております。当初、ロブにこの中から約25個の技法をリストアップしていただいたのですが、英語と日本語の通訳の時間の都合上、やむなく約半分に減らすこととなりました。ワークショップ当日は、午前に「この場所を見てください!(Look at the Spot!)」を、午後に「直線上の2つの点(Two points on a line)」を会場の参加者の方々を巻き込んでのデモとなりました。詳細は割愛させていただきますが、「この場所を見てください!(Look at the Spot!)」においては、クライアントは何を望んでいるのか?ゴールは何か?どの方向へ向かっているのか?と、クライアントの目的や意図、あるいは目標が分からないと援助ができないことをワークを通して学びました。また、「直線上の2つの点(Two Points on a Line)」では、矛盾している、もしくは不一致である2つの点は、それぞれが同じ直線上、またはパターンに属する点が無限に存在する中の2つであって、これを全体論の観点から推測をしていきます。そして、ライフスタイルの中心的なテーマやパターンを明らかにしていくのです。今回、デモにボランティアでご参加いただいた方の2つの点が1つの直線上にあり、ライフスタイルのパターンが明らかになったように私は思います。(午前、午後のデモにおいて、ボランティアで参加していただいた方々、どうもありがとうございました)また、ワークショップの最後には、参加者全員参加でペットボトルを渡していくワークをいたしました。1度使用した渡し方は禁止という制約の中、それぞれの参加者が創造力を発揮し、協力をすることによって、このワークは大成功に終わったのでした。
ロブは、公認臨床プロフェッショナルカウンセラー“Licensed Clinical Professional Counselor (LCPC)”であり、 アドラー派の児童指導専門家として30年以上の経験をお持ちです。北米アドラー心理学会認定のアドラー心理学専門であり、アドラーサマースクール (ICASSI)においては、5年間教授も勤めています。
そこで、1つ注目したい点は、ロブがブラウン大学で学士号を取得後、1979年にボウイ州立大学でカウンセリング心理学の修士号を取得したその4年後の29歳のときに脳出血で倒れたのです。そして、重度の身体的・認知的障害を負ってしましいました。当初は歩くことも、話すことも、書くこともできなかったようです。そして、とてつもないリハビリを経て、これらの能力を回復させ乗り越えてきました。しかし、身体的、認知的な障害は未だ残っているようですが、それにも屈せず奥様と一緒に、北米アドラー心理学会やアドラーサマースクール、国際アドラー心理学会等に参加され、そして、今回は日本に来日されたのです。来年は、娘さんの修士の卒業式に参加をしにイギリスへご夫婦で行かれるようです。とても行動的、活動的なご夫婦ですね。
また、ロブは作曲家でもあり、最近では“Gemeinschaftsgefühl”というタイトルで、CDを作成しております。予定では、ワークショップ内、もしくはワークショップ後の懇親会で皆様にロブの歌声を披露したかったのですが、時間の都合により残念ながらお披露目はできませんでした。今後、また機会がありましたらご紹介をさせていただきます。
こちらでロブの紹介ビデオがあります。興味のある方はご覧ください。
Youtube: https://youtu.be/OFvKb7blnjs
今後の学会の予定です。
12月3日(日)10時〜12時 第14回「個人心理学会会員の集い」テーマ:「もっと知りたい!もっと言いたい!日本個人心理学会のこと」そして、来年2024年3月2日(土)〜3日(日)は、第4回学術大会、テーマは「私のすきなアドラー」が開催されます。皆様にはぜひご参加いただき、つながりを深めていきましょう。
第4回「国際委員会からのご報告「北米アドラー心理学会(NASAP)のアフィリエイト(提携団体)加入について
個人心理学会会員 梶野真
この度、日本個人心理学会(JSIP:Japanese Society of Individual Psychology)は、2021年6月に、北米アドラー心理学会(NASAP:North American Society of Adlerian
Psychology)のアフィリエイトへの加入が認められました。日本個人心理学会第1回学術大会において、特別講演「トラウマと勇気」をテーマに登壇され、10月に「アドラー心理学によるアセスメント、概念化、治療」をテーマにワークショップをされるジョナサン・スペリー博士は、北米アドラー心理学会で会長を務めた経歴を持っています。
北米アドラー心理学会は、アドラー心理学の基本理念を維持し、その成長を助長しつつ、アドラー心理学の研究、知識、トレーニング、そして、その応用の発展、及び、促進する使命を持っています。1952年に設立され、教育、心理学、精神医学、カウンセリング、ソーシャルワーク、牧会、ビジネス、そして、家族教育の分野における幅広い専門家達にとっての1つの共同体として、今日まで発展しております。
上記の北米アドラー心理学会の使命実現のため、各加入団体は他の団体とのネットワークを利用し、一同となって今後のアドラー心理学の発展、促進のために集まっています。アフィリエイトの加入により、年4回発刊される、『個人心理学ジャーナル』を受けられ、また、定期的に送付されるニュースレターから、最新のアドラー心理学の理論とその実用的な応用、また現代のトピックに関する論文や書評、トレーニングの機会等、最新の情報を得ることができます。また、会員名簿への掲載により、海外のアドレリアンや、アドラー心理学団体とのネットワークの利用や、団体の発展のための成長基金を北米アドラー心理学会に申し込むことが可能です。
このこのNASAPのアフィリエイト加入団体は、約30団体が加入しており、ミネソタ・アドラー心理学大学院(Adler Graduate School)や日本でもお馴染みのマリーア・ブルフシュテイン博士の、ミネソタ・アドラーアカデミー(Adler Academy of Minnesota)、シカゴ・アドラー大学(Adler
University)、アドラーサマースクール(ICASSI)、ポジティブ・ディシプリン(Positive Discipline)をはじめ、アリゾナ、フロリダ、ジョージア、アイダホ、インディアナ州にあるアドラー心理学団体、カナダからはバンクーバーやトロント、イギリス、イラン、アジア圏ですと、韓国や台湾がアフィリエイトの加入団体となっています。
第3回「69th NASAP Annual Conference への参加・発表を通じて得られた学び」
加藤 慧 (東京外国語⼤学⼤学院)
今回、2021 年 5 ⽉ 28 ⽇深夜から 5 ⽉ 30 ⽇明朝(⽇本時間)にかけて、アメリカウィスコンシン州ミルウォーキーにて開催された北⽶アドラー⼼理学会(NASAP)第 69 回⼤会に参加及び発表をしてきました。
昨年は COVID-19 の影響によりオンラインのみでの開催でしたが、今年は特にアメリカの⽅ではワクチン接種が進んだことにより、対⾯もしくはオンラインのどちらかを選ぶハイブリッド⽅式で⼤会が開催されました。当然現在は、COVID-19 の影響によりアメリカ含め国外への移動もままならない状況です。また、対⾯での開催となると旅費・参加費・宿泊費、さらには⽇程の確保等も必要となり、私のような学⽣の経済状況からすると⼤変厳しいものがあります。しかしオンライン参加であれば、旅費・宿泊費がかからず、時差さえ考慮すれば⽇程の調整も容易なので⼤変参加しやすいと感じました。今回このように対⾯もしくはオンラインという選択肢を⽤意していただいた NASAP の関係者様には、頭が下がる思いです。
⼤会の参加費は、今年の場合であれば学⽣は対⾯・オンライン問わず 100$、学⽣以外は対⾯の場合は 300$、オンラインの場合は 250$でした。参加費は決して安くありませんが、NASAP は⼤会参加者を対象に奨学⾦を⽤意してあり、選考に通れば参加費が免除されます。ありがたい事に、私は対象者として選ばれ参加費を免除していただけました。
今回の⼤会テーマは“Social Justice: Community Healing through Movement”であり、私は今回が NASAP の⼤会への初参加でしたが、運良く発表原稿が受理されたため、⾃分の研究に関する⼝頭発表も⾏いました。今回の発表テーマは“Adler's New Courage Model and its Effect on English Education in Japan”であり、これは私のアドラー理論研究 (加藤, 2020) を紹介するとともに、その実践に関して、私の研究分野の⼀つである英語教育を事例として取り上げるというものでした。
私の発表への⼈⼊りはあまり芳しくなく、少し寂しい結果に終わりましたが、60 分近い時間を英語で発表を⾏ったという経験及び、今回の発表資料の作成(アウトプット)を⾏ったことで、改めて⾃分の研究について⾒直すことができ、それだけでも⼤変収穫の⼤きい発表の場となりました。反省点を挙げるならば、NASAP はカウンセリングやセラピストといった臨床畑の⽅々が多く集う学会なので、発表内容をもっとそちらに寄せて作るべきだったと感じました。⼀⽅で、私が発表を⾏った時間帯は⽇本では⾦曜⽇の深夜でしたが、現地では⾦曜⽇の朝早い時間帯だったので、全体的にその時間帯は⼈⼊りが多くない傾向にあったようです。いずれにせよ⼤変良い経験になりました。
こうして⾃分の発表も無事終わったので、その後は晴々とした気持ちで他の⽅々の発表を聞きました。発表は様々ありましたが、特に個⼈⼼理学会第 1 回⼤会にて講演をしてくださった Jon Sperry 博⼠の発表と、私の専⾨分野でもある、古典アドラー⼼理学の観点から、深層⼼理療法に関する紹介をしてくださった Eric Mansager 博⼠の発表が深く印象に残りました。
Sperry 博⼠の発表は、“ The Past, Present, and Future of the Journal of Individual Psychology”という題⽬で、NASAP の学会誌である、Journal of the Individual Psychology へ の投稿の⼿引きに関する説明及び、学会誌への国別アクセス数なども紹介されていました。Mansager 博⼠の発表は、“Classical Adlerian Psychotherapy in Action”という題⽬で、博⼠が専⾨とされる⼼理療法である、Classical Adlerian Depth Psychotherapy (CADP)に関する紹介を、同僚の研究者の⽅達と合同による、シンポジウム形式で⾏われていました。
このように、普段学会誌でよくお⽬にかかる、私からすればスター的存在である先⽣⽅の発表を直接聞くことができたのは、とても良い経験になりました。特に Mansager 博⼠の優越性の追求を巡る諸議論を整理した研究 (Mansager & Griffith, 2019) について、その論⽂を初めて読んだ際に感銘を受けたので、オンライン越しではありますが、こうして直接発表を聞くことができたのは⼤変感慨深いものがありました。
このように⾮常に学び深い場となった⼀⽅で、対⾯とオンラインが混在したハイブリッド型だからこそ⽣じる難しさについて実感する場⾯もありました。たとえば、発表者が⼤会会場で発表を⾏う場合は、⼤会側の Zoom アカウントを使って投影機によって映されているスライドをパソコンのカメラで写すことがありましたが、その際にピントがずれてスライドがよく⾒えないということが何度かありました。また接続不良により発表者がルームから退室して接続し直すこととなり、他の参加者がルームに取り残されたまま時間が過ぎるというような場⾯にも遭遇しました。
このようにハイブリッド型であるが故に起こるトラブルもありましたが、この種のトラブルは、今回だけに限らず現代のオンライン環境下では往々にして起こる出来事であります。むしろこれらのトラブルに直⾯した際に、参加者の⽅々が怒る素振りを⾒せることなく穏やかに過ごしていただけでなく、発表者が不具合のため⼀旦退出して戻ってくるまで時間が空いたような場⾯では、参加者間で和やかな会話が交わされることもあり、さすがはアドラー⼼理学に精通した⽅々が集った学会だとこの⾝をもって感じました。
以上より、今回第 69 回 NASAP ⼤会への参加を通じて、⾃分の研究を改めて⾒直すことができただけでなく、アドラー⼼理学に関する新たな⾒識を深める機会を得られたという点において、今回の学会参加は⼤変意義ある会となりました。NASAP ⼤会に関して、アドラー⼼理学および臨床⼼理学に関して⼀定の知識を有している⽅であれば、発表はせずとも参加するだけで多くの学びが得られることと思います。
今回の学会参加を通じて得られた学びをいかし、アドラー研究および個⼈⼼理学会の発展に寄与できるよう、⾃⾝の研究および学会活動により⼀層励んでいきたいと思います。
第2回「あらためて今、「勇気」について考えてみる」
事務局長 八巻 秀(駒澤大学)
この1年間で、コロナ・ウィルスの感染拡大によって、世界の情勢は大きく変わりました。そのことについては、あらためてここで言うまでもないでしょう。
2020年3月に開催される予定であった日本個人心理学会の第1回大会も、このコロナの影響で、1年延期され、そしてこの3月6日(土)〜7日(日)にオンラインに切り替えて、開催されようとしています。
大会テーマは「アドラー心理学における『勇気 Courage』について考える」。
アドラー心理学における様々な考え方や技法は、現代の様々な場面・局面で使われ続けています。ただし、それがアドラー心理学を参考にしたという言及が、不思議なことになされていないことが多いのが実情です。精神医学者のアンリ・エレンベルガーが、著書『無意識の発見(下)』(弘文堂)の中でも「彼(アドラー)の学説は、『共同採石場』みたいなもので、だれもがみな平気でそこからなにかを掘り出してくることができる。(p.271)」と述べているように、アドラー心理学は、今もなお現場で使える原石が眠っている共同採石場なのです。それは臨床心理学だけでなく、教育心理学や哲学など様々な学問において活用できる、再認識されるべき「古くて新しい心理学」だと思います。その共同採石場の中にある多くの原石の中で、記念すべき日本個人心理学会第1回大会では「勇気」を取り上げてみました。
さて、この時点で個人心理学会の記念すべき第1回のテーマに「勇気」を選んだのはどうしてだったかを思い出します。
『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)のベストセラーによって、アドラー心理学が世の中で注目されたことは、アドラー心理学を志向する者にとって、大きな励みになった部分は大きいでしょう。一方で誤解を生んでいることも確かです。「勇気」という言葉もその1つです。
4年前に『嫌われる勇気』のAmazonカスタマービューを何となく眺めていたところ、偶然以下のような文章を見つけました。少し長いですが、引用してみます。
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私は中学の頃から今に至るまでずっとうつ病で中高大と不登校で、人生で3回も学校を中退しました。思い当たる原因はたくさんあるものの、インパクトが大きいもので言えば小学校の頃の母の死と父に受けた虐待あたりでしょうか。
これをアドラー流に言い直すと「社会に出るのが怖くてそうしないようにするために、うつ病になったりトラウマを持ち出している」ということになります。
ところで実は、もちろんその当時アドラーの思想など知る由もなかったのですが、中学の頃からトラウマだとかを言い訳に何かをしないなんて人間でありたくない、過去にあったことで全て未来が決まるということはないはずだ、ということを思っていました。
結果どうなったか。うつ病は更に悪化し、無理を強いたが故に今に至るまで1ヶ月ほど寝込んで本当に何もできないということが2度ほどありました。
さて、ここでまたアドラー流に言い換えてみましょう。
うつ病が悪化したのも寝込んだのも社会に出たくないからだ。おそらく大きくは間違っていないでしょう。しかしここで、この本に書かれているように、だからこそ勇気を出してやるんだ、と言われたらどうでしょうか。究極的に先に待つのは過労死か自殺かしかありません。
それすらもアドラー流に言い換えれば、社会に出たくないから死んだ、となってしまいます。これではまるでブラック企業の煽り文句です。
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このレビューを書いた方のように、様々な心の病が“勇気”がないから起こっている、だから“勇気”を出すんだ、と考えることは、辞書的な意味の“勇気”とアドラー心理学の「勇気」の意味を全く同じものと捉えてしまっていると思います。臨床心理士としてカウンセリング活動に携わっている者として、「アドラー心理学の『勇気』は、日常で使われている“勇気”とは、同じ言葉ですが、違う意味なんですよ!」と声を大にして伝えたくなります。
では、アドラー心理学の「勇気」は、いったいどう定義するのでしょうか。
先日1月中旬に、オンラインで行われた「個人心理学会会員の集い」で、講師を務められた早稲田大学の向後千春先生が、「勇気は共同体感覚の一面に過ぎない」というアドラーの言葉を引用しながら、「勇気」とは「所属している・価値があるという感覚」と定義して、「ある働きかけをして、その人が所属と価値の感覚が生じた時、その働きかけ・関わり方を『勇気づけ』と呼ぶ」と述べて、「勇気づけの操作的定義」を示してくださいました。
なるほど、アドラー心理学における「勇気」とは、このように当の本人の中から湧き上がってくるものなのですね。ですから「勇気」は「出す」ものではなく、「出てくる」ものなのだと、あらためて思いました。そして個人的には、この「勇気」は、人と人の関わりの中で(社会構成的に)生まれてくるものではないか、とも考えています。このような現代において、「勇気」が湧き出てくること・高まること、とはどのようなものなのか、どうしたら高まっていくのか、さらに考え続けていきたいですね。
今度の日本個人心理学会第1回大会では、3月7日(日)の午後に、この「勇気」に関する大会シンポジウムが行われます。現代におけるアドラー心理学の「勇気」をどう捉え、どのように日常の実践に取り込んでいくのか、シンポジストの皆さんや参加者の皆さんとともに面白い議論が展開されそうで、今からとても楽しみです。オンライン開催ですから、皆さんもどうぞお気軽にご参加ください。
第1回「アドラーの先見性 子どもの発達とアドラー心理学」
常任理事 佐藤 丈
個人心理学会ではかねてより、HPでアドラー心理学を実践(カウンセリング・教育・医療)の場でどのように生かしているのか、あるいは大学などの研究の現場ではアドラー心理学の何について、どのように研究されているのか、等についてエッセイで読者にお伝えしていこうというアイディアがありました。
今回、10月31日(土)にZOOMで行われる研修会に先立ち、その研修会で講師を務めさせていただくことになった佐藤が、記念すべき第1回に執筆させていただくことになり、このアイディアを実現することになりました。
私は30年あまり小学校で教鞭をとり、今も八ヶ岳南麓の小さな小学校で特別支援学級の一担任として、子どもたちと日々喜怒哀楽を共にしています。30年の間、学校では、学校週五日制、生活科・総合的な学習の時間の導入、生きる力の育成、特殊教育から特別支援教育へ、教育基本法、関連法の改定、いじめ防止対策推進法、特別の教科道徳・外国語活動・英語科の導入、主体的・対話的で深い学び・・・などなど様々な「教育改革」が試みられてきました。しかし顕著に変わったことと言えば、私が教員になったばかりのころにはまだ見られた子供への体罰や暴言がずいぶん影を潜めた、ということでしょうか。それだけでも大いに成果はあったと評価はできますが、相変わらず「不登校」という学校というシステムに対して心身両面において「NO」を突き付ける子どもが減るどころか増えてしまっていることが実情です。ただ、不登校に対する考え方についてはずいぶん変わってきたように思います。その一つに「学校に合わない子ども」という考え方から「子どもに合わない学校」という考え方へ徐々にシフトしてきたように感じます。子どもを合わせようとするのではなく、どのような配慮をすればその子どもは学校に来るようになるだろうかと、考える教員が増えてきているということです。つまり、学校主体から子ども主体、子どもの発達や特性、個性に応じた指導のありかたを考えることが求められるようになってきたということです。
しかし、このような視点は決して今に始まったものではなく、アルフレッド・アドラーによって、今から90年も前に指摘されていたものです。『個人心理学講義』(2012岸見一郎訳 アルテ)より以下に引用します。
「学校の多くの子どもたちは、一つの感覚しか楽しむことができないという理由で、一つの情報だけしか教えられない。聞くことだけが得意であったり、見ることだけが得意であったりするのである。いつも動いたり、活動しているのが好きな子どももいる。(この)三つのタイプの子どもたちに、同じ結果を期待することができない。とりわけ教師が教える方法として、一つの方法、例えば、聴覚型の子どもに適した方法を好めば、同じ結果を他のタイプの子どもに期待することはできない。このような方法が用いられれば、視覚的な子ども、行動型の子どもは、苦しむことになり、発達が妨げられるであろう。」
いかがでしょうか。現代の学校ではまさにこのことが課題になっていて、ユニバーサルデザイン(以下UD)に基づいた授業づくりとして、視覚・聴覚・感覚運動をバランスよく取り入れた授業が工夫されてきています。京都教育大学の佐藤克敏によればUDを教育に適用する際「原則に従えば、基本的には身体機能・認知機能などに関する個人の負担が少なく、さまざまなモード(視覚、聴覚、触覚など)による多様なアクセシビリティが提供されており、安全かつ快適に利用しやすいデザインがなされている。」(『ユニバーサルデザイン授業~発達障害等のある子どもを含めて、どの子にもわかりやすい授業』京都府総合教育センター)ことが求められていると指摘しており、これはまさにアドラーが指摘した点そのものだと言えます。
私は、ヒューマン・ギルド(岩井俊憲代表)の研修室を長年お借りして「朝の勉強会」を続けてきました(今年度はコロナの影響でZOOMでの開催)。そこでアドラーの著書を輪読するたびに、アドラーの先見性には驚かされることが度々あります。現代の学校で何らかの問題が起こり、その解を求めた時、答えはたいていアドラーの宝箱の中にあるように感じます。
さて、10月31日(土)には研修会で「子どもの発達とアドラー心理学」と題してこのエッセイをさらに深め、特に自閉症スペクトラムやHSCとしてとされる子どもの視点から考えた学校や、支援のありかたについて、実践に基づいたお話ができればと思っています。また、皆様からもお考えを聞かせていただけたらとも思っていますので、どうぞたくさんの方にご参加いただきたいと思っています。よろしくお願いいたします。